愚痴も弱音もありまくる日々

日々の日記、考えたことなど、何でも。

4.12

このブログの存在をすっかり忘れていた、のならまだ良かった。

実際には忘れるどころか、いつも頭の片隅にこのブログの存在があって、

「ブログどうしよう」

とずっと考えていたような気がする。気がするだけかもしれない。

 

毎日書こうとするから、ブログはどんどん重い存在になっていく。

重い存在になると離れたくなるのが人間というもの。

 

ちょっと距離を置いたら、もっといい関係が築けるかもしれないという夢を見て、結局のところ3ヶ月も放置してしまった。

放置してしまったのは結果論であって、実は記事を書こうとして書ききらなかった日がいくつもあった。

何を書きたかったのか、いまではさっぱり思い出せないから、その事実は忘れるけども。

 

そういえば、裏アカを作って嫌な気持ちをどんどん放出すれば精神的にラクになる、と最近読んだ本に書いてあった。

なるほどね、と思っていた翌日、

「裏アカを作ると心が病む」

というようなツイート(いまはポストって言うんでしたっけね?)を見た。

負の感情のオンパレードなアカウントがあるのは、精神衛生上よろしくないのだそうな。

 

どうしたらいいんだろうな。

 

そもそも一般的に正常な人は、ネットで愚痴を言わないらしい。

そういう点で言えば、私は愚痴を言うようなブログをやっているので、一般的に正常ではないようだ。知ってたよ、うん。

 

結局、言いたいことがまとまらない記事になる。

そうだ、まとまらない記事になるからブログをアップできず、いつもアップしないまま終わってたんだ。

頭の中がとっちらかってる。

いつものことだけどね。

1.11

サービス精神が旺盛なのは良いことだと、以前は強く信じていた。

けれど最近は、そのサービス精神がマイナスに働くことを痛感することが増えたように思う。

 

一緒にいる人を笑顔にしたいという気持ちは変わらないけど、笑顔を引き出すためにブラックユーモアを使ってしまうことがある自分に、私は以前から気づいてもいた。

自分としては毒舌で笑いを取れる人だと信じていた。

けれどその毒舌は一歩間違えればただの悪口でしかなく、誰かを不快にしていることにまったく気がつかない、そんな人に私はなっていたらしい。

 

相手を喜ばせるため、笑ってもらうためにしていることだったので、相手が怒ってしまったとき、どうして怒るんだろう? と思ったことが何度もある。

相手が私のブラックユーモアに腹が立ったとは微塵も思わず、怒っている相手に対して「冗談が通じない人って本当に困る」とまで思っていた。

 

自分に非があるのではなく、相手が悪い、冗談の通じない人なんだと決めつけてしまう人に、多くの人が心当たりがあるのでは。

たとえば年配の上司。

セクハラやパワハラ発言は、言われた側にしてみれば問題だけど、言う側の上司からしてみれば単なる冗談のつもりでいることがとても多い。

 

そういった上司の冗談に私も傷ついてきたはずなのに、気づいたら自分が傷をつける側にいたらしい。

自分はいつだって被害者側で、加害者側になるなんてとんでもない。

周囲に配慮しまくって生きているんだもの、加害者なんかにならない。

ほら、今日も周囲を笑顔にするためにジョークを炸裂させているでしょ?

こんなサービス精神旺盛な私が、人を傷つけたりなんてするもんか。

 

と思ってきた、これまでの自分がおそろしい。

人は気づかないあいだに、いくらでも加害者側に立っているもんだ。

相手がどういう受け止め方をするかわからないし、行き過ぎたサービス精神は迷惑でしかないってことを、私はそろそろ学ぶべき。

 

なんてことを、夫婦喧嘩のあとで、ひとりぼんやりと考えていた。

夫が怒る理由はいつだって私の冗談発言が原因で、それは私の行き過ぎたサービス精神が発生させているトラブルなんだと肝に銘じよう。

1.9

読んでいた小説の中で、主人公がやらなければいけない「TODOリスト」が出てきた。

私は思わず「このTODOを終わらせなきゃ!!」と、一瞬だけど、自分のTODOリストのように錯覚してしまった。

 

私は自他の境界線がとてもあいまいなので、人の悲しみや怒りを、すぐに自分事にしてしまうところがある。

これは絶対に短所。

人の感情に振り回されてとてもしんどいだけだし、どうにかしたいけれど「人は人、自分は自分」と思えるようには、なかなかならない。

 

年始からの地震や事故はもちろんのこと、それにまつわるSNSでの書き込みなんかもそうなんだけど、当事者の気持ちと同化してしまいやすい。

離れた場所で起きた出来事でもなんでもなくて、自分がまさに現状で体験していることとしてくくってしまう。

 

時間とともに、「そういえば私は当事者じゃなかった」と我に返るんだけど、瞬間的に当事者になってしまう部分は、いつまで経っても直らない。

いや待てよ? これって直るとかそういう問題なのかな?

デフォルトで備わっているものかもしれないから、どうしようもないのかも。

 

特に小説を読んでいるときが、同化しやすいように思う。

マンガだと主人公たちの顔が見えているので、相手と自分は別物だと思える。

けれど小説になると、登場人物たちの顔が見えない。

だから相手と自分に線が引けないのかもしれないね、わかんないけどさ。

 

でも小説の場合、登場人物に同化してしまうほどのめり込んで本を読んでいる、とも言えるのでは?

だとしたら、そこまで集中して本が読めるのは特技と思ったほうが良いのかもしれないな。

年々、集中力の無さを痛感しているので、ちょっとでも集中できるのは本当にありがたい。